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御柱祭の歴史

御柱祭の起源と移り変わり


諏訪大社上社本殿 上社本宮一の御柱(平成14年)

この祭りの起源は大変古く、一体いつから行われているのかは定かではあり

ませんが、諏訪大明神畫詞(すわだいみょうじんえことば)という書物によると、

今からおよそ1200年前の延暦20年の蝦夷征討の時の戦功に報いるために、時

の桓武天皇が延暦23(804)年、信濃の国(今の長野県)の国祭として費用を信濃

の国全体で負担するようにと国司に命じたとされているのが記録に残っている

古のものです。桓武天皇が命じた信濃国全体での負担ですが、伊那谷と佐

久平そして善光寺平が上社、松本平と南北安曇野及び更埴が下社をそれぞれ

負担したとのことです。


ちなみに、平成10(1998)年、戊寅年(つちのえとらどし)のお祭りは桓武天皇が

国祭としてから丁度200回目と言われています。式年遷宮ということで、

中世までは御柱祭の際には鳥居などを含めてすべての社殿が建て替えられて

いたとされていますが、江戸時代以降は4本の御柱と東西の御宝殿が交互に

立て替えられるだけになりました。


また、明治までは御宝殿は建てられた後、六年間清められてから奉るように

なっていましたが、明治以降は建てられてすぐ遷座されるようになりました。

現在は御柱祭も終わった6月15日に遷座祭が行われています。

明治5(1902)年に酒とケンカの御柱祭となってしまい、その後そのような事が

起らないようにと細かな取決めがなされるようになりました。

 


御柱は命がけ

下社の木落とし 上社の川越え

御柱祭は大変歴史があるお祭りでありながら、平成10年のお祭りで「諏訪大社

の御柱祭(おんばしらまつり)」として「長野県の無形民族文化財」に指定される

まで、文化財の指定は一切受けていませんでした。それは、このお祭りを全国

的に有名にした木落としなどかなりの危険を伴うお祭りのため、平成4年のお

祭りまで五度連続死者が出るなどしていたためとされています。しかし、平成

10(1998)年に長野で行われた冬期オリンピックの開会式で全世界に建て御柱

(たておんばしら)を披露することになったので、やむなく指定されました。



苦しいときこそ開催されてきた御柱祭り


長い歴史の中には開催が危ぶまれる事もありました。伊勢神宮の20年に1度の

遷宮が120年に渡って絶える事になった戦国時代、江戸時代の天保の大飢饉、若

い男のほとんどが戦地へと赴いてしまった第2次世界大戦中の昭和19年など。し

かし、記録上寅と申の年に諏訪の地で御柱祭が行われなかったという記録は残っ

ていません。いえ、苦しい時ほどでかい御柱を曳行したものです。昭和19年には

学童を動員して年寄りが指揮を取り無事にお祭りをやり遂げたと言われています。

諏訪大社の御柱祭だけでは終らないのが、諏訪の御柱のすごいところ。御柱の年

である寅と申の年は諏訪一円のあらゆる小宮でもそれぞれの地区や団体ごとに御

柱祭が行われるのです。中には「大社には胸を貸しだけ。本当のお祭りは小宮の

方だ」という人もいるほどです。

ところで、この御柱祭、実は何の為に行われているのか今となては誰も知らない

んです。なにしろ、諏訪大社自身がなぜこのお祭りが始まったのかはわからない

そうです。そこで、様々な説が唱えられています。

 

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